「終着駅」は やがて「始発駅」になる。
誰もが経験する〝過去〟からの旅立ち。
人生を変える出逢いの先に、
あたたかな感動が待ち受けている――。
『起終点駅 ターミナル』
(日本/111分)
11.7 公開。
www.terminal-movie.com
【STORY】 鷲田完治 釧路に一人暮らす弁護士。裁判官だった 25年前、かつての恋人の死をきっかけに 地位も家族も捨て、この最果ての街に流れ着いた。以来、国選弁護人の仕事しか受けずに、人と深く関わることを避け、身を潜めるように生きている。
椎名敦子 覚醒剤事件の被告人として、完治が彼女の弁護を担当する。敦子が 判決後、完治の前に 突然 現れたことで、孤独だったふたりは 道東の秋を共に過ごすことになる。そのふれあいの中で 敦子の秘密が明らかになり、完治の背負った過去も露わになる。そして ふたりが 敦子の捨てた故郷の漁村に向かうと、そこに待っていたものは……。(プレスブックより)
この映画は 想像していたよりも 遙かに良くて、心から感動しました。原作については少しも知らず、単に試写招待状の画像(右のチラシと同一)を見て、佐藤浩市が 少女のような若い娘と恋愛関係になる話かもと、勝手に想像していた僕が下司だったのです。
原作は、桜木紫乃の 6作から成る短篇集「起終点駅 ターミナル」(小学館刊)の表題作。
人生の悔恨・罪の意識に心を閉ざし、ひとりで ひっそりと生きてきた鷲田完治(佐藤浩市)と、彼に出会って救われる孤独な若い娘 椎名敦子(本田 翼)の ふたりが、心のふれあいを通して、それぞれの新しい人生へと歩み出すまでを描いています。この映画は 相当ドラマティックでありながら、しっとりとした静かな情感を湛えていて、僕は そこに惹かれました。
撮影は 原作の舞台そのまゝに、北海道 釧路で 1ヶ月以上にわたってロケーションされたとのコト。特に雪景色の情景に、独得な趣が感じられます。
主演の佐藤浩市は、完治のストイックな性格と 内に秘めた感情をデリケートに表現し、彼ならではの忘れがたい印象を残します。本作での演技は、彼の最近作中でのベストと言っても 反論する人は皆無でしょう。
敦子を演ずる 本田 翼は、孤独感や絶望感を十分に表現しきれていない感があるものの、眼の光に それらしいニュアンスを漂わせているところが良かったです。
脇を固めるのは、尾野真千子、中村獅童、和田正人、音尾琢真、そして 泉谷しげる。
忘れられない印象的な場面は…、
1) 結城冴子(尾野真千子)が 飛び込み自殺する 駅のホームの場面(25年前の回想)の構成。ハッとして動転する完治の体の動きと表情、カットつなぎの完璧さ。
2) 完治が自宅で料理する数場面。肉屋で買い物をするシーン、新聞の料理コラムを切り抜くシーン、敦子が おいしそうに食べる姿を 無言のまゝ見ている完治の表情を含めて。
3) 完治が先輩弁護士の南と 飲み屋で雑談する場面。特に 南(泉谷しげる)の台詞の妙。
4) 25年前に生き別れた 息子 恒彦の様子を、大学で同級生だったという森山判事補(和田正人)に 完治が尋ねる場面。その完治の顔、特に眼の表情。
5) 恒彦から届いていた手紙を読む完治の姿に、成長した恒彦の姿 = 職場で働いている姿が重なる場面。手紙の文面を含めて。
6) 「出席できる身ではない」と断言していたにも拘らず、当日の朝、いても立ってもいられなくなった完治が、恒彦の結婚式に出席しようと 急いで支度をする場面。自分が作った いくら漬け(4歳の時に生き別れた恒彦の好物)を 瓶に詰めるシーンや エンディングの余韻も含めて。
ラスト近くで画面に現れる、成長した恒彦のインサートショットに関して…。
恒彦の顔立ちと顔筋の動きの特徴とが、完治 = 佐藤浩市に似ていると 感じさせられた瞬間の激しい感動。そのために エンディングへ向けてのイメージが大きく膨らみ、完治の背中を 力一杯 押している自分に気づきました。手紙の文面と共に「似ている、血の繋がりを感じさせる」というコトが、観る者の心を これほど強烈に動かすものなのかと感じたのは、僕史上、多分 初めてです(恒彦を演じた青年俳優の名は、プレスブックに記されていませんでした。ココに書けなくて残念至極)。
監督は 篠原哲雄。脚本は 長谷川康夫。本作は、本年度 日本映画の 僕のベスト 1 候補。篠原監督には 佐藤浩市主演作を、また近いうちに撮ってほしいと願っています。
エコール・ド・パリ ―― 戦時の日本。
二つの文化と時代を生きた 画家 藤田嗣治の、
知られざる世界を圧倒的な映像美で描く。
『FOUJITA』
(日本=フランス合作/126分/PG12)
11.14 公開。
http://foujita.info
【STORY】 1920年代、フランス・パリ。「乳白色の肌」で裸婦を描き、エコール・ド・パリの寵児となったフジタ。ピカソ、モディリアーニ、スーチン… 時代を彩る画家や美しいモデルたちと華やかな日々を過ごす。
1940年、第二次世界大戦を機に帰国。「アッツ島玉砕」ほか 数多くの〝戦争協力画〟を描き、日本美術界の重鎮に上りつめていく。5番目の妻となった君代と、疎開先の村で敗戦を迎えることになるが――。(試写招待状より)
小栗康平監督の第一作『泥の河』(1981)を封切館で観たのは、ひと言「凄く良かったから」と妹にススメられてのコトでした。そして 生意気ながら「戦後生まれの監督に、こゝまで完全無欠な映画を作る人が出てきたんだ」と、衝撃的な感動を覚えたコトを 僕は今でも忘れていません。
小栗監督の十年振りとなる本作は、かつての彼の作品群とは毛色を異にしていて、なぜ この題材を? と不思議に感じつゝ、ふたつの時代と ふたつの文化という内容、及び オダギリジョー主演という要素に 観賞欲を そゝられました(正直なところ、藤田嗣治のキャラクターに関しては 以前から興味がなく、それは 本作を観た後の今も同様です)。
ファーストシーンだけで小栗作品だと分かる端正な映像は、全篇にわたって圧倒的に美しい。
物語は、前半が 1920年代のパリ、後半が 1940年代の日本と、大きく ふたつに分割されています。藤田の結婚相手が変わる具体的な場面や 彼が日本に帰国する場面等、時間の経過と状況の変化を示す描写を省略した構成は、非常に潔い。たゞ、多少は 説明的な場面を用意しても良かったのでは? と思います。
僕個人としては、戦時の日本を描いた部分…、特に 藤田の疎開先、小学校教師の寛治郎と その母、加えて 馬方の清六の暮らしを描いた部分に、最も強く惹かれました。
台詞は 最初から最後まで 全て ゆっくりしていて、特に 藤田の日本語の台詞は、まるで作文の朗読のよう。ついでに触れると、欧州初進出のオダギリジョーは、フランス語の特訓を受けて撮影に臨んだとのコトです。
以下、印象に残った場面の数々。
1) 藤田が 仲間たちと チャールストンに興じる パリのバーの場面。
2) 暗いセーヌ川のほとりと 橋を捉えた情景描写。
3) 突然に映し出される 佐渡のような海の 荒涼とした情景描写。
4) 藤田が 青森から乗り込んだ 列車内の場面。そのセットと照明の素晴らしさ。
5) 寛治郎の母(りりィ)が 君代(中谷美紀)と共に、十三夜のお月見の支度をしている場面。特に りりィの台詞のうまさ。
6) 清六(岸部一徳)が 馬を引きながら、藤田に 寛治郎一家の話をする街道の場面。特に岸部の台詞のうまさ。
7) やかんや鍋から 寺の鐘までが広場に集められる、物資供出の場面。
8) 赤紙を受け取った寛治郎(加瀬亮)が、教室の窓辺から 校庭を見つめている場面。
9) 寛治郎出征前夜の夕餉の場面。寛治郎は 村に伝わる狐の話をし、母は 突然「帰って来い、死ぬな!」と言う。藤田と君代は、それを静かに聞いている。
10) 藤田が 川向こうの墨焼きのもとへと向かう 神秘的な場面。
11) 絵の中の狐火が燃え始める場面と、狐が村の中を飛ぶ 幽玄かつ幻術的な場面。
小栗監督には、日本を舞台とした作品を、また撮ってほしいと心から願っています。
父の残したアパルトマンに住む
見知らぬ母娘。
そして 秘められた恋と 家族の物語――。
『パリ 3区の 遺産相続人』
(アメリカ=イギリス=フランス合作/107分)
11.14 公開。
SOUZOKUNIN-MOVIE-COM
【STORY】 舞台は パリ・マレ地区。疎遠だった父親が亡くなり、パリの高級アパルトマンの遺産相続のため ニューヨークからやってきたマティアスは、早く売り払って借金を清算し、人生を やり直すつもりだった。ところが、フランス独得の厄介な不動産売買制度「ヴィアジェ」が立ちはだかる。アパルトマンに長年住んでいる 元所有者の老婦人 マティルドが亡くなるまでは 売ることができず、さらに 毎月、彼女に対して 年金を支払い続けなければいけないというのだ! マティアスの父親は、なぜ 家族を置いて 異国のパリに通い、このアパルトマンを買い取ったのか? (プレスブックより)
マティアス、マティルド、クロエ(マティルドの娘)の三人が、遺産をめぐる出会いによって、胸に秘めた長年の思いを打ち明けあうコトとなり、亡くなった人が 本当に遺したかったものが何だったのかを 見い出していくという内容。
辛辣な台詞が飛び交う 舞台劇のような映画だ と感じながら観ていたのですが、それもそのはず、オリジナルは 本作を 脚色・監督した イスラエル・ホロヴィッツ自身の手になるブロードウェイの舞台劇。特に ラスト近くに用意されている デリケートかつ相当長い台詞の応酬場面では、神経を集中して 台詞を聞く・字幕を読む 必要があります。
主演の三人は、それぞれがアカデミー賞®を受賞した実力派。
ケヴィン・クライン(マティアス役)は、68歳であるにも関らず 体の動きが実に軽快で若々しい。
マギー・スミス(マティルド役)は、『ナイル殺人事件』(1978)での演技が 僕としてはベストですが、本作では その独得な個性を生かしつゝ、愛に生きたパリの老婦人役を リアルに演じています。
クリスティン・スコット(クロエ役)は、妻子ある男との逢瀬や マティアスとの会話の場面に 生彩を放っていました。
エンドロールの間に 愉快な場面が(確か 2つ)挿入されていますので、場内が明るくなるまでは(当然ですが)席に座っていてください。
印象に残った言葉…。
「あなたに愛されないなら、誰の愛も いらない」(マティルドが 若かりし頃、愛する人と撮った写真に書いた 運命の恋の一文)
繰り返しになるかもしれませんが、この映画は、遺産を継ぐとは 財産を受け取るというだけの話ではなく、その人の過去を全て受け入れるコトだと、観る者に気づかせてくれる点で貴重です。
アトランダム Q&A企画にて、 大高さんへの質問も受け付けています。
質問がある方は、ペンネーム、年齢、スキンタイプ、職業を記載のうえ、こちらのメールアドレスへお願いいたします。
試写室便り等の感想や大高さんへのコメントもどうぞ!
info@biteki.com
(個別回答はできかねますのでご了承ください。)
ビューティ エキスパート 大高 博幸 1948年生まれ。24歳の時、日本人として初めて、パリコレでメークを担当。『美的』本誌では創刊以来の連載「今月のおすすめ:大高博幸さんが選ぶベストバイ」を執筆。 ■大高博幸の美的.com通信 http://www.biteki.com/article_category/ohtaka/ |