厳格なカトリック教徒から娼婦に落ちたエヴァ。
幸せを求め移住したアメリカで、彼女が生きるために選んだ道とは?
『エヴァの告白』 (アメリカ・フランス合作映画。118分)
2.14 公開。Ewa.gaga.ne.jp
【STORY】 1921年、戦火のポーランドからアメリカへ、妹と二人で移住してきたエヴァ(マリオン・コティヤール)。夢を抱いてNYに たどり着くが、病気の妹は入国審査で隔離され、エヴァ自身も理不尽な理由で入国を拒否される。強制送還を待つばかりのエヴァを助けたのは、彼女の美しさに ひと目で心を奪われたブルーノ(ホアキン・フェニックス)だった。移民の女たちを劇場で踊らせ、売春を斡旋する危険な男だ。妹を救い出すため厳格なカトリック教徒から娼婦に身を落とすエヴァ。彼女に想いを寄せるマジシャンのオーランド(ジェレミー・レナー)に見た救いの光も消えてしまう。生きるために彼女が犯した罪とは? ある日、教会を訪れるエヴァ。今、告解室で、エヴァの告白が始まる――。(プレス資料より)
マリオン・コティヤールのためにジェームズ・グレイ監督が書き下ろしたストーリー、ホアキン・フェニックス(アカデミー賞3度ノミネート)とジェレミー・レナー(同賞2度ノミネート)という実力派俳優共演による本作は、ワールドプレミアの場となったカンヌ国際映画祭を圧倒し、NY映画祭等でも称賛の的となりました。
ひと言で言って、本格的な映画らしい映画です。真面目な性格のヒロインが、“過酷な運命に翻弄されて堕ちて行く”という物語は今まで数多く映画化されてきましたが、本作には真正な語り口の中に劇的な感情の うねりがあり、良い意味でセンセーショナル。何よりもエヴァとブルーノの心情に奥行きと含みがあり、時代背景に対する興味も手伝って、118分が少しも長く感じられませんでした(たゞし、主にオーランドに関する描写に不十分な感があるので、あと数分長くしても良かったはず という気はしています)。
エヴァは生きる道が他になく、肺炎のためにエリス島の病棟に収容されている妹を救うべく、「できるだけ治療費を稼がなければ」と決意する気丈な女性。M・コティヤールの抑制された演技からは、ブルーノの求愛を拒みながら、それを利用しているような したたかさも見て取れます。
ブルーノは、辛酸を耐え抜いてきたであろう人間としての痛みを感じさせる、根っからの悪党とは言えない男。J・フェニックスは、このブルーノの、望むものを手にするコトができない宿命的な虚しさと悲しみ のようなものを、全身で巧みに表現しています。『ザ・マスター』での精神を病んでいるヤセ細った男を演じた時とは異なり、肉付きの良いガッシリとした姿で役になりきっている点も さすがでした。
照明・撮影・色彩調整も また実に素晴らしく、ロウアー・イーストサイドの雑踏の鈍く くすんだイメージや、ヴォードヴィル劇場の いかがわしい雰囲気等々を見事に醸成しています。踊り子達の舞台化粧を含め、19世紀末的なニュアンスを色濃く引きずっている映像に、僕は目を見張りました。移民局があったエリス島の場面も珍しく、強い興味を そそります。撮影は『ミッドナイト・イン・パリ』のダリウス・コンジ。
チラシに記されている「ただ生きようとした。それが罪ですか――?」というフレーズは、エヴァが発する台詞ではなく、宣伝用コピーとして作られたモノ。エヴァは むしろ、教会での懺悔の場面で、「道に迷った子羊が元の群れに戻る姿を見たなら、神は一層お喜びになる」という神父の言葉に対し、「いいえ、私は罪深い女。地獄へ落ちて当然なのです」と本気で言い切ります。彼女は「それが罪ですか――?」と主張or開き直るタイプの女性ではないコトを、皆さんは知っておいてください。
売春の場面は何度か出てきますが、興味本位の生々しいセックスシーンは ひとつもありません。
これは女性には勿論、男性陣にもオススメしたい感動作です。ぜひ観てください。
名門高校に通う17歳のイザベルには、放課後の“秘密”があった。
彼女に何が起きたのか? あなたの17歳を揺り起こす物語。
『17歳』 (フランス映画。94分)
2.15 公開。17-movie.jp
【STORY】 夏のバカンス先で初体験を終え、17歳の誕生日を迎えたパリの名門高校生・イザベル。バカンスを終えてパリに戻った彼女は、SNSを通じて知り合った不特定多数の男たちと密会を重ねるようになる。そんなある日、馴染みの初老の男が行為の最中に急死、その場から逃げ去ったイザベルだが、まもなく警察によって彼女の秘密が家族に明かされた。快楽のためでも、ましてやお金のためでもないと語り、あとは口を閉ざすイザベル。いったい彼女に何が起きたのか――?(試写招待状より。一部省略)
イザベル役のマリーヌ・ヴァクト(YSLのフレグランスの広告にも二度起用されたフランスのモデル)の 若さ・美しさ・セクシュアリティが第一の見もの。カンヌ国際映画祭で、彼女は「カンヌの夜に咲いた“昼顔”」と賞賛されたそう。『昼顔』とは カトリーヌ・ドヌーヴ全盛期の代表作の題名で(ドヌーヴは“昼の間だけ売春する貞淑な人妻”を演じていた)、この賞賛は それに たとえたものでしょう。ドヌーヴの“昼顔”は 最終的に夫との生活or性生活に充実感を得たと記憶していますが、『17歳』の“昼顔”は、何かを追い求めながら、それを つかめずにいる という感じのまま終ります。
この映画は社会的な問題を提唱しようなどとは全く考えていないので(考えていたとしたら お寒い!)、観客は それぞれの感性とイマジネーションに任せて、自由に観ていれば それで良いという感じ…。
マリー・ヴァクトは現在23歳前後。本作では5歳ほど若い役を演じていますが、“少女と女の はざま”にいるイザベルを淡々とリアルに好演。顔も体形も細く引き締まっていて、やはり見とれる程の美しさ(チラシの写真はアングルの関係で、顔が幅広く、肉感的に見えます)。
フランソワ・オゾン監督自身の趣味だと思いますが、セックスシーンは“かなり露骨”のギリギリ一歩手前という感じ。ウヴなタイプの皆さんは、その点を承知の上で観に行ってください。
私をスターにした最悪で華麗な17日間。
伝説のポルノ女優、リンダ・ラヴレースの光と影。
『ラヴレース』 (アメリカ映画。98分)
3.1 公開。lovelace-movie.net
【STORY】 アメリカのポルノ映画史上、最もヒットした『ディープ・スロート』が公開された1972年――。NYタイムズ紙が“ポルノ・シック”と報道するほど女性たちも映画館へ殺到し、累計の興行収入は6億ドル(『タイタニック』に匹敵)を超えている、という説もあるほど。そんな伝説の映画の主演女優リンダ・ラヴレースは、“70年代アメリカのシンボル”と呼ばれ、巨額の富と華麗なるスターダムを手にしたと誰もが信じていた。しかし、『ディープ・スロート』制作の裏側には“驚愕の真相”があった…。フロリダの小さな町で厳格な家庭に育ったラヴレースが なぜポルノ女優となったのか。“70年代アメリカ”を背景に描かれるリンダ・ラヴレースの光と影。(試写招待状より。一部省略)
ソバカスが目立つ素顔のような肌で、アマンダ・セイフライドが“汚れ役以上”と言っても差し障りのない役に挑んでいるコト自体が まず驚き。スターとしての殻を破ろうとしたのかもしれませんが、「あそこまで しなくても よかったのでは?」というのが僕の正直な感想です。「『クレ・ド・ポー ボーテ』の専属モデル契約に問題は生じないのだろうか?」と心配にもなりました。
それにしてもラヴレースは、なぜチャックのような暴力的で空疎な男と一緒になり、キャメラの前で本格ポルノを演ずる気になったのか、その点が僕には よく分からない…。もしかしたら“厳格”な家庭(特に母親)への反撥が そうさせたのかも…。But、50年代前半風にも見えるとはいえ、あの時代(70年代初頭)には、あの程度に厳格な親は、アメリカには まだザラにいたはず という気もするのです。
救いはラスト8分間程の、新しい家族とのラヴレースの姿(『ディープ・スロート』の公開から6年後)でした。詳しくは書かずにおきますが、「あゝ、よかった…」と感じた僕。というコトは、内心、ラヴレースに対して味方するような気持ちがあったのだと思います。
セックスシーンは“完全に露骨”です。なので、その覚悟のない方は、観ない方がいいかもしれません。
P.S. ラヴレースの両親役はシャロン・ストーンとロバート・パトリックで、共に好助演。また、出番は僅かながら、『プレイボーイ』誌の編集長を演ずるジェームズ・フランコが、若々しくスマートな魅力を発揮して目を楽しませてくれました。
ビューティ エキスパート 大高 博幸1948年生まれ、美容業界歴47年。24歳の時、日本人として初めて、パリコレでメークを担当。『美的』本誌では創刊以来の連載「今月のおすすめ:大高博幸さんが選ぶベストバイ」を執筆。 ■大高博幸の美的.com通信 http://www.biteki.com/article_category/ohtaka/ |